CORPORATE

50年のあゆみ

1968
3人でスタートした、中古車販売
高度成長期、時代はすべてに加速していた。
日本のモータリゼーションもいよいよ本格的に躍動を始めていた。そんな時代に、株式会社ダイワグループの前身である「大和自動車株式会社」が東京都・東大和に誕生した。砂利を敷き詰めた展示場に中古車を並べ、社員3名でのスタートだった。湯本治男(現代表取締役会長)は当時を次のように語る「夕方になるとクルマを仕入れに出かけ、夜に洗車して、朝には展示するという、ただただ夢中でクルマを愛し、販売していた」と。そもそも湯本の夢は「社長になる」ことだった。大学卒業後、クルマのセールス一筋で、大手ディーラーでセールス及びマネジメントの実績を積み、その経験を生かしての起業だった。それは、「社長」という湯本の夢の第一歩であった。
ローンがなかった時代に、月賦販売を開始
今では当たり前のオートローン。当時は、新車にしか月賦販売が設定されていなかったが、湯本は中古車でもお客様が月賦で買える方法にチャレンジした。クルマを購入するための専用口座を設けてもらい、約束手形を切ってもらう、いわゆる「マル専手形」での販売だった。中古車は現金でしか買えないと誰もが思っていた時代だったので、その販売方法は斬新で、お客様にとってもクルマがより身近になったと好評を得た。カー雑誌にも広告を展開し、全国から問合せが殺到。マル専手形での販売方法で北海道から九州までクルマを販売した。大和自動車株式会社が、次のステップへ大きく力をためた時代だった。
1970
当時は珍しい、スポーツカー専門店へ
とにかく「スポーツカーは楽しい」と語る、根がクルマ好きな湯本。
やがて、あらゆる車種を扱っていた大和自動車も、スポーツカーを主力商品に扱うようになった。
当時店頭には、日本を代表するスポーツカーホンダS600、S800、トヨタ2000GT、スカイラインGTシリーズが並んだ。店頭に訪れたお客様は感激し、スポーツカー専門店として評判を呼んだ。仕入れが難しいと言われたスポーツカーも、「お客様が喜んでくれる値段で出せば、売れないクルマはない」と湯本は言い切る。さらに、お客様とは値引きの駆け引きをしないのがポリシーだった。 満足いく価格を提示すれば、どんなクルマも売れる。
やがてそれが大和自動車への信頼へとつながった。
1973
在庫の山で死ねるなら本望!
現状に満足せず、お客様のためなら弱気な商売はしない。そう心に決めた湯本が迎えたのは1973年第一次オイルショック。
当時の大和自動車の主力商品であるスポーツカーはガソリンを多く消費するクルマ、販売も苦戦が目に見えていた。
しかし、全国で待つスポーツカーを愛するお客様を裏切ることはできない。お店に並ぶ商品を減らさぬよう、強気の仕入れを続けた。当時を振り返り湯本は言う「私もクルマに夢を馳せて身を起こした一人。在庫の山で死ねるなら本望!まさにそういった心持ちであったと鮮やかに思い出されます」。結果、お客様の支持を得ることができ、厳しい経済情勢の中を前進することができた。お客様を信じ、お客様の期待を上回るべく行動を積み重ねていく。その原点を見出すことのできた、決して忘れることのない契機だったと言う。
1986
BMWとの出会い。モトーレンダイワ誕生
ダイワホンダ株式会社の販売は順調に伸びていったが、何か漠然と物足りなさを感じていた。
そんな時、たまたま湯本は友人のBMWに乗る機会を得た。「世の中にこんな快適なクルマがあるんだ!」と驚いたという。「これは、ぜひ扱いたい」と心に決めた。チャンスは、向こうからやって来た。当時、BMW Japanは設立したばかりで、同社が日本での代理店を本格的に募集していた。
BMW Japanの開拓リーダーがたまたま、新青梅街道にあった当時中古車販売店としては珍しい鉄筋コンクリート造りの大和自動車本社を見て、ぜひBMWを売ってくれないかと訪れた。本当に自分がいいものと体感したクルマをお客様のために売る。湯本は、迷うことなく快諾した。モトーレンダイワ株式会社の誕生だ。現在の株式会社モトーレン東都である。
2014
国内最大級のショールーム「マセラティ幕張」をオープン
100年を超える歴史をもつプレミアムブランド、マセラティ。株式会社ファイブスター東都は正規ディラーとして、千葉県初の「マセラティ幕張」を9月にオープンさせた。敷地面積は約1,983m2(600坪)で、日本最大級を誇る。マセラティほど乗り手を選ぶブランドはないかも知れない。
このクルマが放つ品格、優艶さ、エレガントさ、知性・・・は、唯一無二のものだ。「マセラティのエンブレムがあるだけで、ホテルなどでの対応が違う」多くのオーナーたちが経験するという。「マセラティはダイワグループのお客様に夢を与えるだけでなく、それを取り扱う私たち自身をプレミアムに導いてくれるハイブランドだと思う。」売る側も、人間力を磨く必要があるのだ。
現在
これから先50年、100年も、変わることなくあゆみ続けます。